悩んでることがあって特に最近は精神的に参ってるので書きたくなった。
タイトルを「オレトアヤノ」にしようと思ったけど気持ち悪すぎて止めた。ゴロが良いのにな。気持ち悪い。
カネコアヤノに出逢ったのがいつなのかは全く覚えてない。好きになってライブに行こうと開催する度応募したが、抽選に落ちまくって結局初めて会ったというか見たのはコロナで延期された中野のワンマンショーだった。それから何度か行ってる。ライブの良さを伝えるのは難しくて行ってみたら分かるって投げ出したくなるが、裸足で歌う姿、MCが短いとこ、演出がシンプルだからこそ分かるカネコアヤノ全てで闘おうとするとこ、とにかく全力なとこが好きなんだと思う。
カネコアヤノから発せられる生きづらさに共感して好きになったが、『花束みたいな恋をした』や「丁寧な暮らし」を好きそうな表層的な生きづらさ(笑)を自称してる人間が会場にいっぱいいる気がして、それを見て更に自分が焦燥感を感じるみたいなのはありますよね
— 🐑 (@panpakapartys) 2022年3月26日
先日したツイートが思ったより共感をもらえた?いいねがついたので、なんか嬉しかった。
いいねの半数が鍵垢なのがすごい"それ"っぽくて面白かった。
MCが短いの好きだから相対性理論とカネコアヤノは親和性高い
— 🐑 (@panpakapartys) 2022年3月26日
(埋め込みが気持ちよかったのでやっただけで特に意味はない)
ツイートの通り、カネコアヤノが抱える生き辛さ(勝手に抱えさせるな)に共感して好きになった。
本当に生き辛くてしんどい。生き辛さの説明って難しい。(これを書いてて何をどう書けば良いのか分からなくなって書いたり消したりしてる)
言語化できたらスッキリして、あわよくば解決しちゃうのだろうか。普通の人が悩まないことに悩み、普通の人が悩むことはさらに深刻に悩む。頭では分かっているが心?がそれを許さずそれに対してもイライラする。とにかく普通に憧れてしまう。この"普通"には典型的な人間を含まない。皆と同じは死ぬほど嫌なので。人の目が気になり悪い意味で客観視してしまう。皆で楽しんでいるのに冷静になった自分が突如脳内に出現し一歩引いて楽しめない。ライブを見ている自分を見る自分がいる。ライブ中に違うことを考えてしまい演奏が飛ぶ。自撮りができない。写真がそもそも苦手。思っていることがうまくいえない。
拗らせてるから生き辛いのか生き辛さが拗らせるのかは分からない。
好きなものより嫌いなものの方が多いのかもしれない。無印良品は普通だけど、無印良品を好きな人は嫌いとか。
例えばレクサスの◯◯(車種)が好きって人は普通だけど、レクサス好きってやつは嫌い。みたいなのがある。ブランド物とかは特に多いかもしれない。だいたい聞いたあと今誰がアートディレクターなのかも知らないだろ、コレクション見てんのかよ?って思ってしまう。でも、そうに言う俺は詳しいわけではない。
要するに中身がないやつに対して嫌悪感を抱くのだと思う。中身がないと言っても判断するのは中身がない俺なので正当性に欠ける。
まあでも中身がない俺が言ってるんだから正しいか、、もう訳がわからない。
最近はカネコアヤノもオードリー若林ももうこっち側の人間じゃないんだと思ってしまう。自分勝手なのでそう思ってしまう。
今日もイライラ思ってしまう。